祝え!Dies Mirabilisを‼

“Dies Mirabilis”(ディエス・ミラビリス)とは、ラテン語で「奇跡の日」「素晴らしい一日」という意味だそうです。このブログを訪れて下さる皆様一人一人にとって、今日一日が素晴らしい日となりますように!(^^)!

妙な話

この夏は

思いの外、時間ができたもんだから、

一ついろいろな文学作品を、片っ端から

読んでやろうじゃないか

意気込んでみたものの、

 

書店の一角を飾って、

如何にも夏休みの感想文にでも使ってやってくださいまし

とでも言わんばかりの

 

100冊だか200冊だかの

書物の雛壇を見ては、とても全部を買うわけにはいかないな、

半ばあきらめていたものである。

 

かと言って、

一切忘れてしまえるほど、一反の誓いを破ってしまえるほど

軽々しい誓いでもなかったので、

どうしたものかと思案していた。

 

そこへ唐突に思いついたのは、

そうだ、文明の利器を使わぬ手はない。

Youtubeの朗読動画というものがあるではないか、と

今更ながら気づいたわけなのだ。

 

とほぼ同時に思いついたのは、

AmazonKindleというものだった。

当たり前と言えば当たり前のことなのだが、

これまで頭に思い浮かばなかったのが不思議でならない。

 

これを用いない道理はない、

早速Kindleで読み進めることとした。

 

以下は、その読後感想と言おうか、

メモ程度に書き連ねたものだが、

誰かしらの役に立てば、ブログ冥利に尽きるという他はない。

 

※一応断っておくが、こういった話し方は、

 映画を見終わった後に、少しばかりの間、ヒーローやらヒロインやらに

 なり切っている、少なからぬ人々と同様、

 小説の読後に、

 その語り口調に簡単に影響されてしまった輩の言葉遣い

 なのであるから、

 その辺りを加味して、読んでいただければ、

 有難い、というわけなのだ。

 

さて、芥川龍之介「妙な話」であるが、

羅生門とか蜘蛛の糸と言ったような有名どころに比べれば、

マイナーと言うか、

あまり注目されることのない作品になるかもしれないが、

 

私はこういったマイナーなものに触れるのが、

殊のほか好きなので、

惹かれるものがあったのかもしれない。

 

この作品は、

「私」が、旧友の「村上」と喫茶店に入り、村上の妹である「千枝子」が体験したという「妙な話」を、村上の口から聞く、というスタイルを取っている。

 

千枝子は神経衰弱を患っていたらしいが、

それが何によるものかは、定かではない。

 

夫が欧州戦役に駆り出されて、しかも2年間も音沙汰がない、

ということが関係しているのかもしれない。

 

初めの頃、一週間に一度はきっと来ていた手紙も、

途中からぱたりと来なくなってしまった。

 

だが、意外な形で、その理由が知れることとなる。

~それが妙な話なのだ~

 

鎌倉にいる友達に会うため

千枝子が中央停車場(いまの東京駅)に行くと、

どこからともなく赤帽(※荷物運びのスタッフ)がやって来て、

「旦那様はお変わりもございませんか」と聞いて来た。

 

~妙なことに~

千枝子は、面識もない赤帽にそんなことを急に聞かれて、

不思議がることもせずに、

「有難う。ただこの頃はどうなすったのだか、さっぱり御便りが来ないのでね」

答えたというのだ。

 

とまあ、こんな具合に、

「妙」という言葉と、「赤帽」という言葉が、繰り返し繰り返し

出て来る。

 

驚くことに

度々現れる赤帽は、

どこでもドアを持っているのかと思うほど、

あるいは瞬間移動ができるのかといぶかるほど、

遠くヨーロッパの地にいる夫の現況を、

千枝子に伝えるのだ。

 

はて、これはどういうことだろう?

「妙だ」「妙だ」と言葉が続けば続くほど、

この作品には、怪談めいた雰囲気が増してくる。

 

作者の芥川龍之介は、

ただそういったミステリーを語りたいだけなのだろうか。

 

あちらこちらに現れる「赤帽」は、ぜんたい何を表現しているのだろう。

 

おそらくその糸口は、

芥川がクライマックスの4行に周到に取っておいた、この文章に暗示されているのだろう。

 

「村上がここまで話して来た時、新にカッフェへはいって来た、友人らしい三四人が、わたしたちの卓子テーブルへ近づきながら、口々に彼へ挨拶あいさつした。私は立ち上った。
「では僕は失敬しよう。いずれ朝鮮へ帰る前には、もう一度君を訪ねるから。」
 私はカッフェの外へ出ると、思わず長い息をいた。それはちょうど三年以前、千枝子ちえこが二度までも私と、中央停車場に落ち合うべき密会みっかいの約を破った上、永久に貞淑な妻でありたいと云う、簡単な手紙をよこした訳が、今夜始めてわかったからであった。…………

 

 

妙な話

妙な話

 

 

Youtubeの動画では、

以下の二つの朗読動画があった。

 


朗読 芥川龍之介【妙な話】


芥川龍之介「妙な話」石丸絹子朗読 青空文庫名作文学の朗読 朗読カフェ

 

🌟私としては、石丸さんの落ち着いた調子の少し明るい朗読も悪くはないのだけれど、

「妙な話」という幾らかミステリー要素のある作品では、橋爪功さんの朗読の方が好きだなあ(#^^#)

 

 

 

こちらのレモン(檸檬)もお忘れなきよう(#^^#)

「レモン」と言うと

米津玄師の“Lemon”が真っ先に思い浮かべられることだろう。

いや、かく言う私もその一人なのだ。

 


米津玄師 MV「Lemon」

 

カラオケでも、まあ間違いなく、これを歌う。

しかも、少しなり切って歌う。

 

とは言え、

そちらばかりに気を取られては困る。

こちらの「檸檬」にも、目を留めてもらいたいものだ。

 

作者と同様、

日頃よく行く店で、

ふと一つの檸檬に目が留まった。

 

むろん、私の場合は、八百屋のレモンじゃなくて、

「レモン」色をした表紙の本なのだけれども…

 

それにしても、わずか20ページほどの短編なのだが、

ちょっとしたショートムービーを見ているような気持になる。

モノクロの自主製作映画ではなくて、

いろどり鮮やかな心象風景映画とも言うべきものだ。

 

あんまり書きすぎると、

これから読んでみようという人の楽しみを奪ってしまう。

やんわりほのめかす程度にしておくのが

大人の嗜みというもの。

 

面白いのは、

この作品には、作者一人のほか、登場人物が誰もいない。

つまり、ノローグに位置づけられるだろう。

だがしかし、

単なる独白というのとも違う。

 

敢えて言うなら、

のっけから出て来る「えたいの知れない不吉な塊」が、

対談者と言えようか。

 

「生活がまだ蝕まれていなかった以前」と言っているから、

いま作者の生活は荒れていたらしい。

貧乏で、いろんなことがうまく行っていなかったのだろうな。

 

言ってみれば、その「もやもや感」

私の人生を押さえつけているものが、彼の語るところの

「えたいの知れない不吉な塊」なわけで。

 

その塊の正体を突き止めようというのが、

檸檬」のストーリーと言えば、ストーリーになるのかしら。

 

取りも直さず、冒頭で「塊」と書いている時点で、

それは既に檸檬」を連想させようとしていたことは明白なのだけれども、

そこに至るまでに、いろいろと回り道というか、

あちらこちら意味もなく当てもなく放浪しているのも、

心のアンニュイな旅ということになるのだろうか。

 

その気だるさや重苦しさとは裏腹に、

筆者の行く先々に現れるものの描写は、実にくどいぐらいに生々しく感じる

昨今流行りのスマートさとは違って、

一つ一つのものに丁寧に、興味の眼差しを向けている感じだ。

 

のみならず、言葉遣いもさることながら、出て来るものはみな、

大正明治か、あるいは江戸時代かと見まがうほど、

まことに懐かしいものばかりなのだ。

これは単純に楽しい。

 

ありていに言えば、知らないものもあるけれど、

自分もその街に迷い込んだ気分にしてもらえる。

 

いずれにせよ、

物語は終盤、一気に檸檬へと集約していく。

 

八百屋で仕入れた檸檬一つで心晴れやかになった彼は、

しかし丸善に入って、

再び鬱蒼とした気分にさせられる。

いったん、気持ちが上がり調子になっただけに、

この落ち込みはより一層、手の付けられないものになっている。

 

だが、そこに神の声か、悪魔の声か、

あるささやき声が、聞こえて来たのだ。

 

いたずら声と言ってしまえば、それまでだが、

ちょっとやそっとのいたずらではない。

今の時代だったら、捕まってしまうかもしれない危険な遊びなのだ。

 

どんなものかは…

皆さんにも実際に読んでみられることをお勧めしたい。

 

私が感じる檸檬」の重さと、他の読者のそれとは違うものだろうからね。

 

 

 

そういうわけで、私も少しばかり、

梶井基次郎の「檸檬を真似て、

今度カラオケに行った時にでも、

部屋のテーブルの上に、

機械の城を築き上げて、

そこに檸檬をそっと置いて来てやろうかな。

 

これが爆弾だとしたら、

私の孤独感を増幅させる、あのカラオケ店というものが

ぜんたいどうなるものか、

一つ楽しみに見てやろうじゃないか。←嘘です。冗談です!

(※あくまで作品を真似てみた妄想なので、誤解なさらぬよう、一応、お断りしておきますね(*^^*))

 

 

タピオカ・ミルクティー・カンタータ

ご存知の方も

多いと思いますが

かのJ・S・バッハの曲に

 

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「コーヒー・カンタータというのがあります(*^^*)

 


J S Bach "Schweigt stille, plaudert nicht" "Kaffeekantate", BWV 211 Ton Koopman

 

バッハと言えば、

大抵は宗教曲とか、小フーガト短調

 


小フーガ ト短調 BWV578 (バッハ)

 

とかを

思い浮かべられると思うのですが、

 

いわゆる世俗カンタータというのもあって、

これがなかなか風刺が効いていて、

マジで面白いんです!

 

初めて知った!という方は、

ぜひぜひ視聴してみてください!(^^)!

 

で、この度のブログは、

その「コーヒーカンタータ「コーヒー」

「タピオカミルクティーに代えただけなんですけれど

 

「コーヒーカンタータ」の世界を紹介したい思いもあって、

こういう形にしました(≧▽≦)

 

🌟バッハの時代(17世紀終わり~18世紀半ば)のドイツ・ライプツィヒでは、

 コーヒーが新しい嗜好品として巷で流行っており、

 まあ今で言うライブハウスみたいな感じで、

 音楽も演奏されていたそうです。

 

⭐そんな背景の下、

 この新しい嗜好品に首ったけのに対し、

 頑固おやじがなんとか止めさせようと画策する!

 という作品に仕上がっているんですね。

 

さてさて、これをいま流行真っ最中のタピオカミルクティー

代えてみたら、どうなりますか⁉

 

とくとご覧あれ(*^^*)

 

(※分かりやすいように、ちょっと脚色してありますの…)

第1曲 レチタティーヴォ(語り手)

(語り手)
さあさあ、おしゃべりはやめて、お静かに!
今から始まるお話しをお聞きください。
ほら! その名もイカついシュレンドリアンが
娘のリースヒェンを連れてやってきましたよ。
どんな仕打ちを娘から受けたのか、
聞いてみようじゃあ~りませんか。

第2曲 アリア

バス、弦楽合奏通奏低音

 

(シュレンドリアン)
まったく子供というのは、
厄介この上なく、苦労の種でしかない。
娘のリースヒェンときたら、
毎日毎日、どれだけ言ってきかせても、
右から左へ聞き流すだけだ。

第3曲 レチタティーヴォ

ソプラノ、バス、通奏低音

(シュレンドリアン)
おい、この厄介者のはねっかえり娘め!
いつになったら分かってくれるんだ。
タピオカミルクティーなんか止めなさいと言ってるだろ!


(リースヒェン)
パパ、そんなにキツく言わないでよ。
もし、一日三回タピオカミルクティーが飲めないんなら、
私、干からびちゃうわ。

第4曲 アリア

ソプラノ、フルート、通奏低音

 

(リースヒェン)
ああ、タピオカミルクティーって何て甘いのかしら!
千のキスよりずっと甘い、
マスカットよりもっと柔らか。
タピオカミルクティー、タピオカミルクティー、タピオカミルクティーなしじゃ生きてけない。
私をものにしたいんならね、
タピオカミルクティーをくれるだけでOKですことよ。

第5曲 レチタティーヴォ

ソプラノ、バス、通奏低音

(シュレンドリアン)
もしお前がタピオカミルクティーをあきらめんのなら、
今度の結婚パーティーには行かせないからな。
ウォーキングに行くことすら許さないぞ。


(リースヒェン)
良いわよ、ぜんぜん平気!タピオカミルクティーさえ飲ませてくれたら。


(シュレンドリアン)
何を⁉。
よ~し、流行りのスカートを買うのも取りやめだ。


(リースヒェン)
そんなのなくても、死にゃしませんよ~。


(シュレンドリアン)
こうなったら、窓から町を眺めることも
できなくしてやるからな!


(リースヒェン)
そんなこと言っても無駄無駄、おんなじことよ。
私はただタピオカミルクティーを飲ませてって言ってるだけなのに。


(シュレンドリアン)
帽子につける飾りも、
取り上げてやる!


(リースヒェン)
どうぞどうぞ、でも、私の楽しみだけは取り上げちゃイヤよ。


(シュレンドリアン)
この無礼者め、
タピオカミルクティー以外、何にもいらないというんだな?

第6曲 アリア

バス、通奏低音

 

(シュレンドリアン)
頑固でわがままな我が娘は、
何をやっても言うことを聞かないな。
でも、秘策があるのだ!

これにはさすがの娘も

言うことを聞かざるを得んぞ。

第7曲 レチタティーヴォ

ソプラノ、バス、通奏低音

(シュレンドリアン)
さあ、パパの言うことを聞くんだ!


(リースヒェン)
タピオカミルクティーのこと以外なら、何でも聞いてあげるわよ。


(シュレンドリアン)
勝手にしなさい。
ところで、結婚したくないわけはないんだろうね。


(リースヒェン)
パパ、もちろん結婚したいわよ。


(シュレンドリアン)
そうか、だがな、結婚なんかもうさせるつもりはないぞ。


(リースヒェン)
えっ?タピオカミルクティーをやめないなら?
分かったわ、パパ、
もうタピオカミルクティーなんか飲みません。


(シュレンドリアン)
よしよし、やったぞ、ついに言うことを聞いたか!

第8曲 アリア

ソプラノ、弦楽合奏通奏低音

 

(リースヒェン)
今日にでも

結婚相手が見つかったらいいな!
パパが許してくれて良かったわ。
ああ、私の夫となる方はどんな方かしら!
夢みたい、
早くお会いしたい、
タピオカミルクティーをやめたんだから、
今日寝る前にでも
ムキムキの素敵な男性が見つかってほしいわ。

第9曲 レチタティーヴォ(語り手)

テノール通奏低音

(語り手)
こうして、シュレンドリアンさんは、
さっそく娘のリースヒェンのために、
婿を探しに出かけましたとさ。

でも、リースヒェンは、
結婚相手の男性を家に入れる前に、
こんな約束をさせようと密かに計画していたので、
そう、いつでも欲しいときに、
タピオカミルクティー

を飲ませてちょうだいねって。

第10曲 合唱

ソプラノ、テノール、バス、フルート、弦楽合奏通奏低音

 

(ソプラノ、テノール、バス)
ネコがネズミを追いかけるのを止められないように、
娘はタピオカミルクティーがやめられるわけがありません。
お母さんも、おばあちゃんも、
みんな飲んでるんですもの、
そんなタピオカミルクティーを娘がやめられるわけないでしょう!

 

 

バッハ:コーヒー・カンタータ&結婚カンタータ

バッハ:コーヒー・カンタータ&結婚カンタータ

 

 

🌟こちらは、漫画の「コーヒーカンタータ」ですよ( ゚Д゚)

 

 

反社会的勢力と田沼意次

昨今の

吉本芸人の闇営業問題

それに端を発する吉本興業の体質について

 

またまたちょっと

マジな感じで書いてみたいと思ったので

しばしお付き合いをお願いしま~す(*^^*)

 

誰かのツイート

「反社会的勢力こそが問題だと思うのに、なぜ逮捕しないの?」

っていう趣旨の書き込みがあったのですが、

 

これには全くの同意です!

 

で、リプでも少し書いたりもしたんですが、

なぜ、マスコミも警察も、

反社会的勢力の方を追求したり、調査したりしないかっていうと、

 

ずばり!

いろんな組織のトップの方々が、

そういった勢力の方々と繋がりがあるからじゃないのか

って思うんです。

 

 

意図的に

反社会的勢力と関りを持とうとする人たちも

いるでしょうし、

 

あるいは、

様々な事情で止む無く、交流を持たざるを得なかった、

ということもあろうかと

思うんですが、

 

いずにれしても、

日本の社会の(いやきっと世界の諸国で)

おそらく隅々にまで、

反社会的勢力のネットワークが広がり、

しっかりと根を下ろしてしまっているがために、

 

もし本気で

反社会的勢力を根こそぎにしようという

ことにでもなったら

 

ほぼ間違いなく

日本の社会がひっくり返ってしまうことでしょう( ゚Д゚)

 

それは

一つには、反社会的勢力そのものと、

その勢力と繋がりを持っている人たちが黙っていないだろう

ということ。

 

もう一つは、

その反社会的勢力や、その勢力と関りを持つ集団に

向けた刃が

結果的に、民衆に向けられることになるだろう、

ということなんです。

 

スマップの昔の曲に

「Triangle(トライアングル)」っていうのがあって、

 

 

その中の歌詞に

「精悍な顔つきで構えた銃は、他でもなく僕らの心に突き付けられてる」

というのがありましたけれども、

 

これと同じことが

反社会的勢力にまつわる問題にも当てはまるんじゃないかなって

思うんですね。

 

それで思い出すのは、

江戸時代の悪名高き老中田沼意次(たぬま おきつぐ)」です。

 

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彼は

江戸幕府のどんどんやせ細っていく財政を立て直すべく

禁止されていた株仲間を復活させ

特に商人がどんどん儲けられるようにしてあげました。

 

それが結果としては、賄賂政治を蔓延させることになり、

それへの批判が高まって、

田沼意次は仕方なしに失脚となったわけです。

 

彼に代わって登場したのが

陸奥白河藩主の老中松平定信であります!

 

そう、松平定信

(今の政治にマスコミの状況にも似ていますが)

民衆の圧倒的な支持と後押しを受けて

世直しを始めます。

 

人々はこう言って称賛したものです、

「田や沼や 汚れた御世を 改めて 清くぞ住める 白河の水」と。

 

「田や沼や」とは、もちろん田沼意次のこと。

彼の政策で汚れた御世(みよ)を、

白河(松平定信が白河の藩主であったので)が清くしてくれる!

みんな大いに期待したんですね。

 

ええ、松平定信はやってくれました!(^^)!

世間の意見を取り入れて

どんどん改革を推し進めました。

 

財政を切り詰め切り詰め、

現代で言えば、

会社で使うコピー用紙の一枚も無駄にするなと命令を出し、

残業代もカットして、

 

また家庭で言うなら、

トイレの水はめったに流さず

食事は豪華な食材は使わせないようにしたわけです

贅沢は敵だ!」政策)。

 

娯楽

そんなことに現(うつつ)を抜かすから

みんな真面目に働かないのだと

これも今で言えば、

ジャニーズやバンドのコンサートは一切禁止

 

賭博の温床になるからと

ゲームの類もことごとく法律で禁止となりました。

 

あれ?あれれ~?

って感じですよね。

 

そりゃあ清くしてくれとは言ったけど、

そこまでやれとは言ってないぞ!

またまた民衆から不満続出

 

しまいには

こんな川柳が飛び出すまでとなりました、

「白河の 清き魚の住みかねて 元の濁りの 田沼恋しき」と。

 

清すぎるのもちょっと困る

少しぐらいは汚れてた方が性に合う

ってんでしょうか。

 

昨今の話で言えば

反社会的勢力を全部丸ごと逮捕しちゃえばいいじゃん!

って思うんですけど、

 

たぶんそれをやると、

民衆が、国民がいろいろ困ったことになるだろうと。

 

別に反社会的勢力が良いってわけじゃありません。

 

問題は、

反社会的勢力を根こそぎにするってことが、

具体的にどういう事態をもたらすかを

ちゃんと分かっているか、

ということ。

 

そして大改革を成し遂げた後に、

どんな世の中になっているかを

しっかりと想像できているか、っていうこと

ですね。

 

ちょっと長くなっちゃいましたね( ̄▽ ̄)

お後が宜しいようで!

文章を書くときに気を付けてること

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今日は、

普段、文章を書くときに気を付けてることを、

まとめてみました(*^^*)

 

たぶん、

もう数え切れない方々が、

このテーマで書いてみえると思うんですが、

 

それでも、

私なりに改めて、

整理するつもりで書いてみようと思った次第です!(^^)!

 

 

1.続きの文章では、同じ終止形で終わらないようにする。

   例えば、「~なんです。」で終わった文章があるとすると、

  その次の文章は、同じ「~なんです。」もしくは「~です。」

  終わらないようにする、ってことですね。

   なぜかと言うと、同じ終止形が続くと、くどくなってくるからです。

  くどいと、人間関係もそうですが、飽きてくる、というか

  嫌になってきちゃいますよね。

 

2.副詞や形容詞などは、違う言い回しがないか考えてみる。

   これは、どこかで見かけたテーマですが、

  「とても」という言い方を、他の言い方に変えることができないか、と

  思案してみるわけです。

 

   普通にググっても良いですよね。

 

  そうすると、「ものすごく」とか、「めっちゃ」とか、「極めて」など

  いろんな表現がみつかります。

   もちろん、その後に続く言葉と、うまくマッチするかは、試してみないと分かりませんが、

   

           こういうのは、様々な小説を読んでみると、

  数々の言い表し方があるものなので、ぜひチャレンジしてみてください!  

 

3.感じが続いてしまう時は、片方をひらがなにする。

   「昨日通勤途中で」と書きますと、

  ちょっと落ち着いて読めば、何が書かれてあるのか理解できますが、

  パッと見ただけでは、すぐに言いたいことが頭に入って来ません。

   頭に入って来ないと、心にも響かない。

  

  なので、こういう時は、「きのう通勤の途中で」とすると、

  幾らか読みやすい文章になりますね。

   つまり、「昨日」を「きのう」とひらがなにし

  さらに、おまけで「通勤」と「途中」の間に、「の」を入れる。

 

  これだけで、ずっと見やすいものになるのです。

 

4.用いてみる、倒置形や体言止めを。

   小中高の国語で習いましたよね、倒置形とか体言止めってやつを。

  せっかく学んだので、積極的に使っていきましょう。

   

   ただし、頻繁に使うのは宜しくありません。

  たまに用いるのがミソ。

   普通の文章の中に、体言止めや倒置形が出て来る  と、そこが自然と浮かび上がります

 

5.敢えて破格の文体を使う。

   これも、文章が冗長になるのを防ぐための

  一つの手法と言えましょう。

 

   仮に、その文章が「です」「ます」調を基本としているならば、

  わざと「~である」とか、「~なのだ」という言い回しを使ってみるわけだ。

   うまく用いないと、

  不自然であったり、不協和音のようになってしまったりするけれど、

  上手に使えば、効果てき面(#^^#)

 

   急にキャラが変わったように思えて、

  興味を惹きつけることができるのさ!

 

 🌟というわけで、少しでも皆様のお役に立てば、何よりでございます(*^^*)

 

  皆様のTwitter&ブログ人生が、祝福されたものとなりますように!

  

  

 

 

「グーグルが信じる10の真実」v.s.「グーグル後の世界10のルール」

ジョージ・ギルダー著「グーグルが消える日」では、

 

グーグルが消える日 Life after Google

グーグルが消える日 Life after Google

 

 

「グーグルが信じる10の真実」

「グーグル後の世界10のルール」とが、

対比させて記されていて、大変興味深いです(#^^#)

 

1.グーグルが信じる10の真実

 ①ユーザーに注目すれば、他のことは、ついてくるはずである。

  グーグルのユーザーに対する「贈り物」によって、相手に同意を得て自由に個人情報が手に入り、新しい膨大なビッグデータが集まっている。

 

 ②一つのことを最大限うまくやるのが一番である。

  情報市場を席巻するには、AIを活用して「検索と分類」で世界一になる必要がある。そのためには、全知の神に近づかなければならない。

 

 ③遅いより速いほうが良い。

  慎重でバグがないよりも、スピード感がある方が良い。

 

 ④ウェブ上でも民主主義は機能する。

  だがグーグルは、厳格な能力主義を採用し、採用者にも極めて高いIQや学力を求める。

 

 ⑤答えを必要とするのは、パソコンに向かっている時とは限らない。

  モバイル広告の懸賞にAdMobを使おう。

 

 ⑥悪事に頼らなくても金儲けはできる。

  インテリっぽく「莫大な富の裏には大きな犯罪がある」と示唆している。もしスピード感のある無料サービスが罪であれば、グーグルはデータセンターに太陽光発電風力発電を導入し、二酸化炭素排出量をゼロにして、自信満々に埋め合わせをする。

 

 ⑦世の中の情報は増え続けている。

  ビッグデータには、規模に関する収益逓減がない。

 

 ⑧情報に対するニーズは、あらゆる国境を超える。

  私たちは世界市民であり、グーグル翻訳は世界的な優位性を与えてくれる。

 

 ⑨スーツがなくても真面目な仕事はできる。

  デニムは、シリコンバレーの富と名誉を隠してしまうが、無理にスーツを着る必要はない。

 

 ⑩素晴らしいだけでは不十分である。

  我々にとって素晴らしいのは「いつものこと」だ。

 

※これに対して、スコット・クレランドアイラ・ブラッドスキーの二人は、

 「検索と破壊」という書物の中で、グーグルを激しく非難していますが、

 それは、“セキュリティーの重要性についての言及が一切ない”ことだということです。

 

この流れの中で、

ジョージ・ギルダー氏は、自ら「クリプトコムズ」(秘密保持の世界)と名付ける

新世界の10のルールを提唱しています。

 

2.グーグル後の世界10のルール

※以下の文章は私なりにまとめ直したものです。

 ですので、元の文章を確かめたい場合は、本をお求めになることをお勧めいたします。

 

 ①セキュリティー・ファースト

  セキュリティーは基本構造であるべきで、据え付けられたり、一時的に接続されたり、上からの命令で即興で作られたりしてはならない。

  言い換えると、あなたは特別な時間や場所を占有または支配しているため、他のものと混ぜ合わされたり、平均化されるべきではない。

 

 ②「集中化」は安全ではない

  デジタル資産が集中してしまうと、非常に便利な反面、アイデンティティの在りかを泥棒に知らせてしまい、頂上からの改ざんや盗みに対して、極めて脆弱になってしまう。

 

 ③セイフティー・ラスト

  セキュリティーこそが第一に重要視されるべきであり、それを守るためであれば、

安全性は二の次となってよい。

 

 ④無料のものは何もない

  人間の尊厳や価値を考えれば、対価が支払われないことなどあり得ない。

 

 ⑤時間は、費用の最終的な指標である

  時間以外のあらゆるものが十分に有り余るほどあったとしても、時間の希少性は大金に勝る大事なものである。

 

 ⑥安定した通貨は、人間に尊厳と統制力を与える

  時間の希少性を確保するためには、安定した通貨が不可欠である。

 

 ⑦生物学的非対称性を模した「非対称の法則」が大切

  セキュリティーの確保のためには、秘密鍵が対称的ではなく、非対称的であることが肝要である。

 

 秘密鍵のルール

  DNAを上からの命令で変えたり、混合したりできないのと同じように、秘密鍵も決して変えたり、混合したりできてはならない。

 

 秘密鍵は、政府やグーグルではなく、個人が持つべき

  権力の分散のため(一極集中を避けるため)、個々人が秘密鍵を持つことがふさわしい。

 

 ⑩すべての秘密鍵とその公開鍵の背後には、人間の通訳が存在する

  個々の人間という生身の人間を介するということがセキュリティーを確固たるものにする。

 

⭐上記の通り、著者のジョージ・ギルダー氏は、

 セキュリティーということを最重要課題と考えており、それを蔑ろにしているという点において最も、グーグル帝国の崩壊を予見しているわけなのです。

「グーグルが消える日」(“Life after Google”)の読中まとめ&感想

「グーグルが消える日」とは、

随分とセンセーショナルで、刺激的なタイトルである( ゚Д゚)

 

まさか!そんな!

といぶかりたくもなる。

 

一体、どういうことなのか?

著者のジョージ・ギルダーは、何を根拠に

グーグルの終焉を予言するのか?

 

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まずは、目次を見てみよう(*^^*)

 

はじめに

第1章 まもなく「グーグルの世界が終わる」

第2章 グーグルが築いた「世界システム」とは?

第3章 グーグルの“ルーツ”を探る

第4章 限界を迎えた「無料」戦略

第5章 「グーグル後の世界」10のルール

第6章 グーグルの心臓「データセンター」の実情

第7章 「機械学習」は本当に成功するのか?

第8章 人間を超越した金融取引の秘密

第9章 AIは、人間を超えられない

第10章 シリコンバレーに新風を巻き起こす若者

第11章 ビットコインは「救世主」なのか?

第12章 ビットコインの創設者?クレイグ・ライトの主張

第13章 「グーグル後の世界」を索引する企業の誕生

第14章 「インターネット」をグーグルから奪還せよ!

第15章 「プログラミング言語の生みの親」の挑戦

第16章 緑

第17章 「スカイ・コンピューティング時代」の幕開け

第18章 アメリカの「進化」を阻む大学教育の弊害

第19章 通信業界の規制を乗り越えろ!

第20章 グーグル帝国の逆襲

第21章 ビットコインには「欠陥」がある

第22章 大規模な「アンバンドリング」

おわりに

 

以上、目次を掲載したが、

これだけでも大部で難解な内容だと推測されることだろう。

 

実際、取り敢えず読んでいくだけでも、

実に興味深いと同時に、内容がなかなか頭に入って来ない。

専門用語が散りばめられており、理解するのに難儀する。

 

だが、読みこなしていくに価値のある本だと思っている。

 

⭐著者のジョージ・ギルダー氏は、既に高齢の人物であるが、

 彼の主張で大事なことは、

 今のところ、下記のようなものであると思われる。

 

1.グーグルに代表されるような、人間の脳をコンピューターと同じものだとする唯物主義を反駁しようとしている。

2.グーグルの世界システムは、その根幹にセキュリティがないため、脆弱である。

3.グーグルの世界システムに変わる、新しい別の世界システムが現れつつある。

 

※第11章まで読み進んで感じたことは、

 これは単なる技術書ではなくて

 根本的な哲学や宗教を語っているということである。

 

 ジョージ・ギルダー氏の言う通り、

 本当に近い将来、グーグルが消えてなくなるかどうかは分からない。

 しかし、未来の世界は、グーグル一択ではない、ということは

 熟考に値する話だと思わされた。

 

 だけれども、いずれにせよ、

 真に未来の世界を語ろうとするならば、

 私たちは宗教や哲学、思想なしには語れないだろうことは確実である。

 

 今日は取り敢えず、ここまでとしたい。

 読み進んで読解が深まれば、もっと良い仕方でまとめたいと思う。