v.s. ALS⇒with ALS⇒into ALS
2年前、義父がALS(筋萎縮性側索硬化症)になりました。
義父はもう他界しましたけれども、
身近でALSを体験した家族としての想いを、書き留めておこうかな、と。
1.初めは、少し発語がおかしいな?っていうぐらいでした。
なので、そんなに気にも留めてなかった、というか。
病院に行って診てもらえば、まあほどなくして、症状も収まるんだろうって思ってたんですね。
ちょっと意識して、本人の言うことに耳を傾ければ、何とか聴き取れたんです。
で、家族の誰が一番、義父の言いたいことを聞き取れてるか、なんて
少々冗談交じりに競ってたりしました(笑)
でも、段々と聴き取りづらくなってきましたし、
いよいよ病院でしっかりと診てもらわないと!ということになり。
検査入院ということになったわけです(>_<)
2.検査入院と言っても、すぐに結果が分かるわけではありません。
ぶっちゃけ、セカンドオピニオンじゃないですけど、
一つの病院だけでは不安だったこともあり、
違う病院でも診てもらいました。
だって、いつまでもあやふやなママだったら、不安でしかたないですからね。
それで正式な病名が分かって、
安心したと同時に、本人と家族の覚悟も必要となった次第。
難病指定されてる病気だから、いろいろ治療費なんかも安くしてもらえるのは
割とけっこう助かるんですが、
遥かに大事なのは、この病気がいつかは治るものなのか、ってことです。
3.入院してる間に、唾液が溜まりやすくなってきたということで、
簡易な機械を使って、チューブ状のもので唾液を吸い取る必要が出て来ました。
もちろん、使い方なんて分かりません( ゚Д゚)
作業療法士の方か看護師さんたちに教わりながら、
家に帰ってからも、
家族の人間がちゃんとできるよう、訓練を積んでから
家に戻って来ました、っていうか戻って来れました(#^^#)
4.この唾液を吸い取るってのが、なかなか大変というか、
やり方は少しずつ慣れていくんですが、
夜中に何度も起きて、やらなきゃいけない。
それでも義母は頑張りました!
もう手慣れたもんです!(^^)!
その状態が続くんなら、まだ耐えることもできようというもの。
5.一段と症状が重くなってきて、
寝ている時の唾液の量が半端ない量になってきたんですね。
家で唾液を吸い取るのも追いつかなくなり、
いやもっと大事なのは、その唾液がのどにつっかえて、
息をするのが困難になってきたってことで。
救急車を呼んで、病院に運んでもらい、
一大決心をすることになりました。
気管切開です。
生きるためには仕方がない!
でも、声を出すことはもうできません!
本人がどんなに辛かったことか(>_<)
家族とコミュニケーションを取るのが、格段に難しくなります。
ここまで書いてこなかったですが、
発語が難しくなってからというもの、
ハードビニールシートに、マジックペンで「あいうえお」を書き、
それを本人に指出してもらって、コミュニケーションを取ってました。
ただ、指さしてる箇所が、家族ですらも分かるようで分からない。
お互いにもどかしい思いを募らせることになります。
指があまり動かなくなってくると、
今度はiPadを購入して、
本人に代わって声を出してくれるアプリを使い始めました。
ただ、これを使う期間は短かったですね。
使いやすいようで、使いづらいところもあったりして・・・
6.さらに輪をかけて、大変だったのは、
まだ多少、家で幾らか身動きが取れるときに、
(病院で散々、注意を受けたはずなんですが)
ちょっと無理して移動しようとして、
転んでしまったんですね。
これが大打撃となりました。
病院にはですね、川柳という形で、
とにかく無理しちゃダメだよ!
転ばないように、転ばないように、と
もうくどいぐらいに書いてあります。
でもしかし、本人としては、家に帰ってきたら、
やっぱり自由に動きたいですよね!
義母がちょっと目を離したスキに、ガタンと音がして、
行ってみると、倒れてるわけですよ。
そうなると、もう寝た切りしかなくなって、
体が目に見えて、衰えて行ってしまいますね。
病気に打ち勝つ体力がなくなってくるんです。
7.何か暗い話しばっかりになっちゃったような気がしますが、
家族は笑いを絶やさないようにしてました。
本人も努めて、病院関係者の方々に、明るく笑いを交えて接するように
していました。
普通は、もっと当たり散らしたりする場合が多いらしいんですが。
8.そんなこんなで、治る兆しもなく、
義父のALSはあれよあれよという間に、進行していきましたが、
最後は、家族に看取られながら、平穏に天国に旅立っていきました。