祝え!Dies Mirabilisを‼

“Dies Mirabilis”(ディエス・ミラビリス)とは、ラテン語で「奇跡の日」「素晴らしい一日」という意味だそうです。このブログを訪れて下さる皆様一人一人にとって、今日一日が素晴らしい日となりますように!(^^)!

例え明日死ぬとしても・・・

「例え明日死ぬとしても、やり直しちゃいけないって誰が決めたんですか?」

 

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これはドラマ「警部補 古畑任三郎」第32話“古い友人に会う”

クライマックスにおける古畑の言葉である。

 

普段あまり人生哲学を語ることの少ない古畑だけに、

このセリフはグッと心に迫るものがあった。

 

まだ見たことのない方がおられたら、

ぜひ視聴されることを強くお勧めしたい。

 

この第32話において、

安斎という、古畑の小学校時代の友人が登場する(津川雅彦)。

 

~ここからはネタバレを含みますので、ご注意くださいね~

 

彼には自分より二回りも年が下の美人妻がいる。

しかし、近頃現れた若いイケメンの編集者と逢引きしているのを

知るに至り、

殺人を計画する。

「妻の」ではなく、「自分の」だ。

 

もちろん、ただで自殺するのではない。

妻に殺人の疑いを着せての、巧妙な殺人計画を仕組んだのだ。

 

なぜか?

 

単なる妬みからではない。

彼は二回りも下の妻と結婚する時も、

マスコミから散々叩かれた。

その時の苦々しい記憶が消えることはなかった。

 

今また、妻と若い編集者の逢引きが取沙汰されれば、

(既に鍵つけているブンヤもいるようだが)

また叩かれる。

この年になってのスキャンダルは辛すぎるのだ。

 

以下は、最終場面での二人のやり取りである。

 

古畑

「お察しします。

しかし、しかし、あなたは死ぬべきではない。

例え全てを失ったとしても、

我々は生き続けるべきです。

 

私はこれまで強制的に死を選ばされてきた死体を

数多く見て来ました。

彼らの無念な顔は忘れることができません。

 

彼らのためにも、我々は生きなければならない。

それが我々生きている人間の義務です。

 

安斎

「死ぬより辛い日々が待っていたとしても・・・」

 

古畑

「だとしてもです。」

 

安斎

「すべてを失うのは耐えがたい」

 

古畑

「また一からやり直せばいいじゃないですか。

いくらでもやり直せます。

 

よろしいですか?よろしいですか?

たとえ、たとえですね、

明日死ぬとしても、やり直しちゃいけないって、誰が決めたんですか?

誰が決めたんですか?

まだまだこれからです。

 

⭐ここに至って、初めて「タイトル」の意義が見事に浮かび上がってくる。

一見すれば、「安斎が小学校時代の古い友人である古畑を呼んだ」という

ただそれだけのことである。

何のひねりも、何の面白みもないタイトルのように思われるかもしれない。

自分もそう感じていた。

 

しかし、安斎は、妻を殺人者に仕立て上げての自殺をしようとしたところで、

「友人」古畑に真意を見抜かれて、死をあきらめることとなった。

安斎は、真の「友人」を得たことで、

死ぬより辛い晩年を耐え抜く勇気を持つことができたのだ。

 

ここで安斎は、古い、だが真の「友人」と「会った」わけである。

 

こうして、静かで感動的な、そして安心に包まれたエンディングを、

我々も迎えることができる。