祝え!Dies Mirabilisを‼

“Dies Mirabilis”(ディエス・ミラビリス)とは、ラテン語で「奇跡の日」「素晴らしい一日」という意味だそうです。このブログを訪れて下さる皆様一人一人にとって、今日一日が素晴らしい日となりますように!(^^)!

マーシー(田代まさしさん)復活‼ (*^^*)

マーシーが、

田代まさしさんが、

復活してる!(^^)!

 

つい最近、この事実を、

たまたまYoutubeで発見して、

大いに驚愕し、そして歓喜したわけなのでございます。

 


田代まさしさん「僕はまだ立ち直っていません。立ち直りの途上です」

 

マーシーは、完全に復活したわけではありません

 

御自身で話しておられるように、

「僕はまだ立ち直っていません。立ち直りの途上です」というのが現状です。

 

しかしながら、その言葉に、

ある大きな安心感を覚えもしました。

 

なぜなら、以前、盗撮や薬物使用で逮捕された時は、

「心から反省します。もう絶対にしません」

発言していたのですが、

 

依存症について幾らかでもご存知の方には周知の通り、

いや、依存症に限らず、真の回復に何が必要なのかを知っておられる方々には、

もう常識となっていることだと思いますが、

そして、一般の方々には理解しづらいことだとは思うのですけれども、

 

「心から反省します。もう絶対にしません」と言っている内は、本当の回復は見込めないのです。

 

そうではなく、

奇じくも、田代まさしさんが言っておられる通り、

「まだ立ち直っていません。立ち直りの途上です」

語れるようになった時に、

初めて真の回復への道が開かれるんですね。

 

ずっと前、マーシーが逮捕されたニュースを見聞きした時、

そして近しい人たちでさえ、

彼を見捨てるような発言をテレビで視聴した時、

正直、自分も彼をとことん、蔑んでました

「もう、こいつは終わったな」って。

 

でも、自分のいろんな体験をし、苦難を通り抜けていく中で、

依存症というものについても理解を深めることができ

そして、先にも書いたように、

Youtube田代まさしさんの「復活」を知り得た時には、

ホントに心の底から、お祝いしたい気分になりました(*^^*)

 

ただ、Youtubeのコメント欄で、誰かが書いていたように、

彼の出所後のダルクを通しての精力的な活動が、

また新たなストレスを生み出し、

かつて薬物に走ってしまった時のような過ちを、

再び犯してしまうのではないか、という一抹の不安は拭えません。

 

でも、それでもなお、

彼を信頼したい思いが自分の内にあるのは、

今は「ダルク」という支援者の集まりの中に、自分の身を置いていること、

 

また、自分は「依存症」という病気なんだ、と

自他共に認めることができた、ということ

 

この二つがあるからなのです!

 

私はやはり、誰が何と言おうと、

そう例え、彼がまた潰れてしまったとしても、

彼を応援し続けたいのです(#^^#)

 

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「グーグルが消える日」(“Life after Google”)の読中まとめ&感想

「グーグルが消える日」とは、

随分とセンセーショナルで、刺激的なタイトルである( ゚Д゚)

 

まさか!そんな!

といぶかりたくもなる。

 

一体、どういうことなのか?

著者のジョージ・ギルダーは、何を根拠に

グーグルの終焉を予言するのか?

 

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まずは、目次を見てみよう(*^^*)

 

はじめに

第1章 まもなく「グーグルの世界が終わる」

第2章 グーグルが築いた「世界システム」とは?

第3章 グーグルの“ルーツ”を探る

第4章 限界を迎えた「無料」戦略

第5章 「グーグル後の世界」10のルール

第6章 グーグルの心臓「データセンター」の実情

第7章 「機械学習」は本当に成功するのか?

第8章 人間を超越した金融取引の秘密

第9章 AIは、人間を超えられない

第10章 シリコンバレーに新風を巻き起こす若者

第11章 ビットコインは「救世主」なのか?

第12章 ビットコインの創設者?クレイグ・ライトの主張

第13章 「グーグル後の世界」を索引する企業の誕生

第14章 「インターネット」をグーグルから奪還せよ!

第15章 「プログラミング言語の生みの親」の挑戦

第16章 緑

第17章 「スカイ・コンピューティング時代」の幕開け

第18章 アメリカの「進化」を阻む大学教育の弊害

第19章 通信業界の規制を乗り越えろ!

第20章 グーグル帝国の逆襲

第21章 ビットコインには「欠陥」がある

第22章 大規模な「アンバンドリング」

おわりに

 

以上、目次を掲載したが、

これだけでも大部で難解な内容だと推測されることだろう。

 

実際、取り敢えず読んでいくだけでも、

実に興味深いと同時に、内容がなかなか頭に入って来ない。

専門用語が散りばめられており、理解するのに難儀する。

 

だが、読みこなしていくに価値のある本だと思っている。

 

⭐著者のジョージ・ギルダー氏は、既に高齢の人物であるが、

 彼の主張で大事なことは、

 今のところ、下記のようなものであると思われる。

 

1.グーグルに代表されるような、人間の脳をコンピューターと同じものだとする唯物主義を反駁しようとしている。

2.グーグルの世界システムは、その根幹にセキュリティがないため、脆弱である。

3.グーグルの世界システムに変わる、新しい別の世界システムが現れつつある。

 

※第11章まで読み進んで感じたことは、

 これは単なる技術書ではなくて

 根本的な哲学や宗教を語っているということである。

 

 ジョージ・ギルダー氏の言う通り、

 本当に近い将来、グーグルが消えてなくなるかどうかは分からない。

 しかし、未来の世界は、グーグル一択ではない、ということは

 熟考に値する話だと思わされた。

 

 だけれども、いずれにせよ、

 真に未来の世界を語ろうとするならば、

 私たちは宗教や哲学、思想なしには語れないだろうことは確実である。

 

 今日は取り敢えず、ここまでとしたい。

 読み進んで読解が深まれば、もっと良い仕方でまとめたいと思う。

エーちゃんが自分を「矢沢」と呼ぶ理由

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エーちゃんこと矢沢永吉さんは、

自分のことを「矢沢」と呼んでおられる。

 

なぜ、他人事みたいに「矢沢」と呼んでおられるのだろうか?

 

一つには、

 昔から、自分のことを客観視することが得意であったから、

というのがあるらしい。

 それは天性の才能と言っても良いだろうが、

自らを見る別の視点を持っている人は、近視眼になることから自らを守りやすい。

 

 

もう一つは、

 ある時に、近しい人のために、莫大な借金を負わされたのだけれども、

さすがのエーちゃんも、かなり落ち込んだ。

 でも、いつまでも落ち込んではいられない。

どうせなら、これを映画やドラマの役と考えて、

「矢沢」という役を本気で演じてみようと思われたそうだ。

 

 確かに、莫大な借金を抱えたり、あまりにも不幸な目に遭ったりすると、

そういう自分をストレートに受け入れることは、甚だ困難だ。

 

 しかし、これが映画かテレビのドラマなら、一歩引いて、その役というか、

立ち居振る舞いや生き方を、端から眺めることができる。

 そうやって、自分の人生を、誰かが書いた脚本だと思えば、

途中にいろいろな困難が襲って来るのも、ひどく納得がいく

 

物語の後半から、事態は少しずつ変化し始め、不思議な出会いや、

予想だにしない出来事が起きて、大どんでん返しとなるわけだ。

 

 そうすると、どっかでカメラでも回ってるのかとも思ってしまうほどだ。

一つ、このとんでもない苦難に遭遇しながら、やがてハッピーエンドに向かうという、

非常にスリリングな演劇を、演じ切ってやろうじゃないか!

こう考えられるわけだ。

 

 こういったエーちゃんのエピソードを、

コンビニに置いてあった何かの本で読んでからというもの、

 

自分自身の考え方も、ちょっと改善されたような気がする。

明るい展望が開けてきたというか、

苦しい状況に置かれても、以前ほどには驚き怪しむことは、

少なくなった気がするのだ。

 

 心からエーちゃんに感謝したい(*^^*)

天空の海

高校の時に作った俳句を、

なぜか今も鮮明に覚えていまして、

 

それを今日は恥ずかしながら披露して、

ご批評を仰ごうと思った次第です。

 

1.天空の 海に浮かびし 白舟で 夢を櫂にし いざ大航海

 

※高校の時、少し前にジブリ天空の城ラピュタ

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が流行っていまして、

 その「天空の」を枕言葉にして、

 一句作ってみようと思ったわけです。

 

 天空を海に例え(なぜなら、同じ青色をしているので)

 そこに浮かぶ雲を、様々な形の舟に見立てて

 それぞれの夢を原動力にして

 これからの新しい航路を、

 みんなで一緒に進んでいきたい!

 そんな想いを歌にしてみました(*^^*)

 

2.闇の海 黒雨浴びし 水鳥の 哀しき心 人は知らずや

 

※これも高校当時、タンカーの原油が漏れ出て、水鳥が黒い油まみれになってしまった、というニュースが世界を駆け巡っておりました。

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 その水鳥の思いを歌にしてみたいと思ったのが、上記の一句です。

 ここには、井伏鱒二の「黒い雨」も重ね合わせてみました。

 

⭐高校の国語の授業で、みんなで俳句を作りましょう!ということになって、

 その場で考えた俳句たちですが、

 良ければご感想など頂ければ、幸い至極に損じます。

平成29年度焼きそば高等學校 過去問 国語

早速ですが、

この国語の問題、皆さんは解けますか?

 

カップ焼きそばの作り方】

1.蓋を点線まで開き、ソース、青のりの小袋を取り出す。

2.沸騰したお湯を入れて、蓋をしめて、五分間待つ。

3.お湯を捨て、青のり、ソースをかけてまぜる。

 

《問題》

傍線部「蓋をしめて、五分間待つ」とあるが、これはどういうことか。

その説明として、最も適当なものを次の中から選びなさい。

 

①沸騰したお湯を入れたあとは、蓋を開けたまま放置し、食べたいときに食べればよいということ。

②容器にお湯を入れたあとは、お湯ごとすぐに食べていいということ。

③お湯を入れたあと、中身が密封されるように蓋を閉めて、五分間待つということ。

④待つ時間がもったいないので、お湯をかけずに乾燥したまま食べるということ。

 

さあ、皆さん、答えは分かりましたか?

 

答えは・・・

 

いえいえ、答える必要はないでしょう。

これはまことに戯れなのですから(#^^#)

 

そう、上記の問題は、

「もしも文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら」という

書物からの引用でして。

 

 

もし文豪たちが カップ焼きそばの作り方を書いたら

もし文豪たちが カップ焼きそばの作り方を書いたら

 

 

 

以前にも、この書物からブログの記事を書いたわけですが、

もっとこれの話題で盛り上がりたい!と切に願い、

再び筆を取った次第。

 (いや、パソコンだから、これからは「指で打った次第」とでもなるのかな?)

 

それにしても、

こんな風に、カップ焼きそばが、国語の問題にされてしまったら、

せっかくの美味も、無味乾燥なものになってしまいそうですね( ゚Д゚)

そう、「乾燥」してるだけにね・・・

違う、違う、ここは大喜利じゃない(笑)

 

⭐ここで終わるのはもったいないので、

もう一つ紹介したいと思います。。。

 

カップ焼きそば1万個買い占めます」by 西野亮廣

 

この西野印のカップ焼きそば、やっぱりひとりでは作れないと思うんですよ。

だから、 みんなに出資してもらって、

手伝ってもらいながら、リターンする。

それが一番いい方法だと思うんですよ。

 

僕はかやく、お湯を入れる、湯切り、ソースを絡めるところまではやります。

だから協力者は、それを食べてくださいよ。

 

そして感想をSNSに投稿してください。

そうしたら今までのやり方ではない方法で

ベストセラーを出せると思うんです。

そうして出資者にも還元できる。

 

そして、今回、最初に作ったカップ焼きそばの1割を自分で買い取りました。

食べきれません。

誰か食べてください。

 

また、実験的に、ウェブで無料で食べているところを公開します。

それを見て、どんどん食べたくなってください。

 

僕は、何としてもこのカップ焼きそばをベストセラーにしてみせますよ。

僕は他人に嫌われることを何とも思ってないですからね。

そういう意味では強いですよ。

僕くらい自由な発想でカップ焼きそばを作れる人は、他にいないはずです。

往年のカップ焼きそばも、

西野氏の手にかかると、全く新しい装いになりますよね!(^^)!

パッケージで覆われてるだけにね!

って、だから大喜利じゃないんだってwww

 

カップ焼きそばで、こんなに盛り上がれるんだ!って

変な感動が生まれたりして面白そう(*^^*)

例え明日死ぬとしても・・・

「例え明日死ぬとしても、やり直しちゃいけないって誰が決めたんですか?」

 

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これはドラマ「警部補 古畑任三郎」第32話“古い友人に会う”

クライマックスにおける古畑の言葉である。

 

普段あまり人生哲学を語ることの少ない古畑だけに、

このセリフはグッと心に迫るものがあった。

 

まだ見たことのない方がおられたら、

ぜひ視聴されることを強くお勧めしたい。

 

この第32話において、

安斎という、古畑の小学校時代の友人が登場する(津川雅彦)。

 

~ここからはネタバレを含みますので、ご注意くださいね~

 

彼には自分より二回りも年が下の美人妻がいる。

しかし、近頃現れた若いイケメンの編集者と逢引きしているのを

知るに至り、

殺人を計画する。

「妻の」ではなく、「自分の」だ。

 

もちろん、ただで自殺するのではない。

妻に殺人の疑いを着せての、巧妙な殺人計画を仕組んだのだ。

 

なぜか?

 

単なる妬みからではない。

彼は二回りも下の妻と結婚する時も、

マスコミから散々叩かれた。

その時の苦々しい記憶が消えることはなかった。

 

今また、妻と若い編集者の逢引きが取沙汰されれば、

(既に鍵つけているブンヤもいるようだが)

また叩かれる。

この年になってのスキャンダルは辛すぎるのだ。

 

以下は、最終場面での二人のやり取りである。

 

古畑

「お察しします。

しかし、しかし、あなたは死ぬべきではない。

例え全てを失ったとしても、

我々は生き続けるべきです。

 

私はこれまで強制的に死を選ばされてきた死体を

数多く見て来ました。

彼らの無念な顔は忘れることができません。

 

彼らのためにも、我々は生きなければならない。

それが我々生きている人間の義務です。

 

安斎

「死ぬより辛い日々が待っていたとしても・・・」

 

古畑

「だとしてもです。」

 

安斎

「すべてを失うのは耐えがたい」

 

古畑

「また一からやり直せばいいじゃないですか。

いくらでもやり直せます。

 

よろしいですか?よろしいですか?

たとえ、たとえですね、

明日死ぬとしても、やり直しちゃいけないって、誰が決めたんですか?

誰が決めたんですか?

まだまだこれからです。

 

⭐ここに至って、初めて「タイトル」の意義が見事に浮かび上がってくる。

一見すれば、「安斎が小学校時代の古い友人である古畑を呼んだ」という

ただそれだけのことである。

何のひねりも、何の面白みもないタイトルのように思われるかもしれない。

自分もそう感じていた。

 

しかし、安斎は、妻を殺人者に仕立て上げての自殺をしようとしたところで、

「友人」古畑に真意を見抜かれて、死をあきらめることとなった。

安斎は、真の「友人」を得たことで、

死ぬより辛い晩年を耐え抜く勇気を持つことができたのだ。

 

ここで安斎は、古い、だが真の「友人」と「会った」わけである。

 

こうして、静かで感動的な、そして安心に包まれたエンディングを、

我々も迎えることができる。

塾講師エッセンス~指導のキモは何?~

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塾でも家庭教師でも、

子供たちや親御さんから期待されることの第一は、

「分からないところを教えてもらえる」

ということではないでしょうか。

 

確かにそういう部分もありますが、

実際に塾や家庭教師で教えてみると、

意外とそうじゃないことに気づかされます。

 

言い換えると、

質問に答えることより、

ずっと大事なことがある!っていうことですね。

 

それは何か?と言いますと、

 

1.まず机の前に座って勉強する、という習慣を身につけること。

 

  子供たちが先生のもとに持って来る「分からない」には、

 幾つかの種類があります。

 

(1)ただ単に覚えることをしてなくて、宿題の空いているところを埋めたいだけの「分からない」

 

(2)少しは頑張って覚えようとしたのだけれど、途中で疲れて、嫌になって、先生を使おうという魂胆の「分からない」

 

(3)答えの解説を読みもせず、考えようともしないで、聞きに来る「分からない」

 

(4)答えの解説を読んだけれども、文章の意味が分からなくて尋ねて来る「分からない」

 

(5)答えの解説も読み、一週間ほど考えあぐねた上で、それでも分からない時の「分からない」

 

とこのように、大別しただけでも5種類の「分からない」があるわけですから、

それぞれのタイプの「分からない」に対応した指導が必要になってきますね(*^^*)

 

 それで、上記の(1)と(2)の場合は特に、

勉強そのものの習慣が身についていない場合が多いので、

質問に答える以前に、

教科書やワークの解説を読んで、問題を解き、〇✖をつける、という基本的な習慣を身につけてもらうことが、最優先になります。

 

2.ある程度、机の前に座って、勉強のサイクルが少し身についてきたら、

次の課題は、字を綺麗に書くことです。

 

  勉強の中身と関係ないと思われるかもしれませんが、これがけっこう大事だったりするんです。

  習字を習うかどうかは別として、どの教科でも、いざテストになった時、

用語を漢字で書かなければいけない場合、字が汚いと、採点する先生としては、〇をあげたくても、✖か△にせざるを得ません。

  算数や数学などでは、字が汚いと、それだけで計算を間違えてしまう元になるんです。そのために、初めに数字や英単語や漢字の練習をするんですね(#^^#)

 

3.例え生徒から質問を受けても、講師自身の頭を使わず、生徒の頭を使わせること。

 

 よほどのことがない限り、生徒からの質問一つ一つに、時間をかけて対応するのは、生徒のためになりません。

 講師はただヒントだけを提示するか、教科書やワークのどこを見れば答えが見つかるのかを指導するのがベターですね。

 つまり、生徒が自分で答えを見つける習慣のサポートをするわけです。

 用語であれば、教科書や資料集のどこかには書かれてありますし、

 計算問題であれば、例題をもう一度見て、同じパターンの問題がないか探させます。

 

4.ダラダラとした勉強をさせないこと。

 

 集団塾であろうと、個別や家庭教師であろうと、生徒と向き合う時は、基本的に、

小テストを繰り返して、100点が取れるまで、繰り返し同じ問題を解かせるのが効果的です。

 

 教科書をボーっと見ているだけでは、覚えた気になるだけで、実際にはほとんど頭に入っていないことが多いですね。

 なので、例えその場で覚えることが必要であっても、5分か10分で覚えさせて、すぐさま解かせると良いでしょう。

 

 この場合でも、2,3日したら半分ぐらいは忘れます。

ということで、同じ問題を改めて解かせるのです。

言わば、科学的な手法を取り入れる、ということですね(*^^*)

 

🌟これで全てではありませんが、特に大事だと思われることを書き留めてみました。

 皆さんの参考になれば幸いです!