木を植えた男~植樹の心~
「木を植えた男」という小説がある。
フランスの作家ジャン・ジオノが1953年に発表した短編なのだが、
何年か前に出会ってからというもの、
ずっと心に残り続けているのだ。
話は単純。
一人の男が、ただひたすらドングリの種を植え続けていく。
それだけだ。
二度の世界大戦の最中にあっても、
寡黙な男性は、相も変わらず植樹を止めない。
失敗がなかった訳ではない。
一年がかりで植えたカエデが全滅してしまうこともあった。
でも、彼は木を植えることに飽くことはない。
周りの人間は、死にかけた山の見事な復活に驚く。
ある者は「自然の悪戯」だと言い、
またある者は「森を破壊するな」と頓珍漢な注意を、彼にしたりもした。
しかし、誰一人、それが一人の男の手によるものとは思いもしない。
詳しくは、こちらのWikipediaなどをご覧いただくとして、
この物語は、
何を私たちに語りかけているだろうか?
いろんな見方があるだろう。
もし、もう一つの題を付けるとすれば、それは・・・
いや、言葉はいらない。
もちろん、小説なのだから、「言葉」で記されている。
だが、語られているのは、一つの小さな業である。
「」をつけてはいけないような、業なのではないか。
世界の片隅にいる、世間から忘れ去られた男のちょっとした行いが、
ちょっとした小さな世界を変えてしまうなんて、
誰が想像しただろう。
叫ぶこともなく、政治をする訳でもなく、
そして、SNSで拡散されるわけでもない。
この男、名前はブフィエと言い、実在の人物と思われていた。
だが今は、それは大した問題ではない。
実在であろうと、架空の人物であろうと、
このストーリーが私たちの心に植えるものは、
確かにいまリアルに、私を少し変えてくれたのだから。
人間が相手かどうかも、ここではさほど問題にならないだろう。
彼のしたことは、
間接的に人々を幸せにした。
人の住む場所を確保してあげた。
直接に彼は感謝をもらえなかったし、
彼もまたそういうことに関心を払わなかった。
一人息子と妻を亡くしたという彼は、
木を植えていく作業の中で、
愛する息子と妻に会っていたのかもしれない。
その「彼」の中に、
私たちは、自分の物語を見出すのだろう・・・